「食品ロスを無くす」南極で『食』と向き合った渡貫淳子さんの挑戦

まなび

4月17日放送のTBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」に、『南極ではたらくかあちゃん 調理隊員になる』の著者・渡貫淳子さんが出演されました。

渡貫さんは、南極地域観測隊の調理担当として働いた経験を語り、極寒の地での食事作りの工夫や、限られた食材で乗り切る知恵を紹介されました。

過酷な環境の中で「食」と向き合う姿がとても興味深く、ぜひ皆さんにも知ってほしいのでシェアしたいと思います。



過酷な南極シェフの仕事

1年分の食材の準備する

南極に出発する4か月前から、食材の準備が始まります。用意するのは 1年分の食材、約2000品目・30トン分!

食材を決めるために、隊員にアンケートを取りますが、 苦手な食べ物を正直に書く人は少ないそうです。そのため、いざ現地で料理を出すと「これ苦手なんだよね…」と言われることもあり、困ることも。

さらに、 食材の補充ができるのは1年後!
途中で足りなくなっても、隣の基地に行くのに3週間もかかるため、簡単には補充できません。
「本当に大丈夫だろうか」と不安を抱えながら準備を進めたそうです。

食材は毎年10月に船に積み込み、翌年2月以降に食べ始めます。冷凍できるもの以外は賞味期限が切れないように、 完全に火を通してから提供する ことに気をつけていたそうです。

限られた食材で30人分の食事を調理

南極に着くと、 シェフ2名が交代で30人分の食事を担当
献立は 現地の状況に合わせて柔軟に対応 します。

生野菜や果物は最初のうちしか食べられません。そんな中、 シャキシャキのキャベツの千切りは最高のごちそう!
キャベツを丁寧に保存し、7か月間食べられるよう工夫したことで、隊員たちにとても喜ばれたそうです。

他にも、 もやし・スプラウト・水菜は水耕栽培 で育てました。収穫まで時間がかかり、量も十分とは言えませんが、貴重な生野菜として大切に食べられました。

さらに 生卵も貴重 で、「卵かけごはん」は贅沢な一品でした。
人気な食材が少なくなってきたときは、隊員に伝えないようにしていたそうです。「足りない」と聞くと、かえって食べたくなるからです。

「食べさせてあげられないのが申し訳なかった」と語るシェフ。
それでも、 日本の食事と同じような献立にしようと工夫を重ね、隊員たちを支えていました。

「悪魔のおにぎり」誕生!

夜食を作るとき、シェフたちは 食品ロスを出さないように 夕食の残りを使っておにぎりを作っていました。

ある日、天ぷらを作ったときに余った 天かす に、あおさのりめんつゆ を混ぜておにぎりにしたところ…隊員たちに大ヒット!

「夜中に食べるにはカロリーが高すぎる…これはもう悪魔だ!」
そうつぶやいた隊員がいたことから、「悪魔のおにぎり」 と呼ばれるようになったそうです。

「南極ではたらく かあちゃん、調理隊員になる」平凡社 角川文庫

著書には、人気の「悪魔のおにぎり」をはじめ、南極で考案されたレシピが載っています。どれも手軽に作れて、今すぐ試してみたくなるレシピばかりです!

また過酷な環境で奮闘する日々の中、危険な体験をしたり、人間関係に涙したりしたエピソードがリアルに描かれています。

渡貫さんの調理隊員を目指す熱意に心を打たれ、「やりたいことには何歳からでもチャレンジできるんだ!」という勇気をもらえる一冊です。

南極生活&帰国後エピソード

南極での生活は驚きの連続!?

南極では、散髪も隊員同士でお互いに切り合います。
そのため、出発前に国内で髪の切り方を練習するのが習慣。

基地内には 散髪専用の部屋 もあり、なんとサインポール(床屋のクルクル回る看板)まで設置されていました!
中でも カットが上手な隊員には予約が殺到していたそうです。

テレビはないものの、週に一度 みんなで映画鑑賞 をする時間があり、観る作品は 隊員のリクエスト制 でした。

南極では、普段聞こえる音や感じる匂いが限られています。
そのため、ちょっとした変化でも 「何か起きている?」 と気づくようになり、音や匂いにとても敏感になるのだとか。

基地内はとても暖かく、調理中は半袖になることも
でも、自分の部屋は寒かったので暖かい調理室にいることが多かったそうです。

帰国すると南極ロスに…

1年4か月の滞在を終えて日本に帰国すると、思いのほか “南極ロス” が大きな問題に…。

南極の過酷な環境から、いきなり日本の情報量の多い日常へ戻るのは、精神的・肉体的に大きな負担がかかります。

テレビを観ていると、刺激が強くて目が疲れたり、音が聞こえると「何の音?」と脳が反応して疲れたり…

また、南極でいかに廃棄を出さないようにと考えていたので、スーパーの総菜売り場に山積みになった総菜が廃棄されるのかと思うと、涙が出てきたそうです。

こうした 環境の変化に慣れるまで、約半年かかったそうです。



過酷でも人生観が変わる魅力的な場所

南極という 過酷な環境に挑み続ける姿 には、本当に勇気をもらえますね。
失敗やトラブルを乗り越えながらも 前向きに生活を楽しむ 姿勢が素敵です。

ラジオでは、「また機会があれば南極へ行きたい」とおっしゃっていたそうですが、それほど 南極には魅力がある ということなのでしょうか。
極限の地での経験は、きっと 人生観を大きく変える のかもしれませんね。

最後まで読んでくださりありがとうございました。



渡貫淳子さんのプロフィール

1973年 青森生まれ

エコール辻東京を卒業後、同校の日本料理技術職員になり、その後結婚出産を機に職場を離れる。

2015年 41歳の時に、一般公募で第57次越冬隊の史上2人目の女性料理人として参加。

帰還後、伊藤ハム商品開発部に勤務。(偶然にも南極で初めて出会ったポールウインナーが伊藤ハムの商品だったのでご縁があったと驚いたそうです)

タイトルとURLをコピーしました