献立を楽に!料理研究家の「一汁一菜でよいという提案」に至るまで

心が軽くなる考え方

TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」に、料理研究家の土井善晴さんがゲスト出演されていました。

今回は土井善晴さんの料理に関わってきた経験や、「一汁一菜」の提案についてのお話をご紹介します。

食について考えたり、毎日の料理が大変と感じている方の心が軽くなったりするきっかけになればと思います。



土井善晴さんが料理に関わってきた経験

子どもの頃のエピソード

お父さんの土井勝さんは、テレビの料理番組でも有名な料理研究家なので、お弁当を持っていくとクラスメートや先生までみんながお弁当を覗きにきて困ったそうです。

知らない大人から、「家ではなにを食べてんの?」と話しかけられることが嫌だったそうで、「普通のものや!」と応えていたそうです。

家族にお相撲さんがいたり、祖父が柔道の先生だったりと、運動をする家族がいたので、海老やスズメを串に刺して炭で焼いたり、朝は高松出身の祖母がうどんを手打ちして大鍋で煮て食べていたそうです。

豪快ですね。大勢でにぎやかに食べる食事は美味しかったでしょうね。

食に対して楽しい記憶があるからこそ、料理を仕事にされたのだろうと感じました。

和気あいあいと食事をすることが、体にも心にも一番の栄養ですね。

フランス料理の修行時代

土井善晴さんは、大学3年生でスイスへフランス料理の修行に行きました。スイスのホテル学校を目指されたのですが、少人数しか受け入れがなかったので、ローザンヌのホテルで修行をしました。

一旦帰国して、神戸のホテルで修行をしながら大学を卒業した後、フランスのリヨンで修行します。

その頃、フランス料理は転換期で、「ルーベルキュイジーヌ」と呼ばれるスタイルに変わっていきました。

今までのこってりとした味付けではなく、軽めのソースで食材を活かした料理に変わっていきました。

そんな時代に、活気があり生き生きとしていたフランス料理を学んだそうです。

フランス料理の講師として来日をしていたポール・ポキューズは、フランスに帰国して料理が日本料理化していったそうです。日本から学んだことがあったのでしょうね。日本料理の良さが伝わっていると思うと嬉しいですね。

帰国して日本料理の修行へ

フランスから帰国した後は、お父さんの手伝いを始めました。

ある日、お父さんから「お漬物を盛り付けて」と言われたそうです。しかし、どのような器にどのように切って盛り付けたらよいのか分からず、棒立ちになってしまったそうです。

日本料理の盛り付けは、季節や他の料理の器の流れを考えて選び、盛り付け方も箸でつまみやすい大きさ、取り分けやすい切り方を考えるそうです。細やかで奥が深いですね。

自分はフランス料理の講師ができても、日本料理のことは何も知らないとショックだったそうで、日本料理の修行をしたいとお父さんに頼んだそうです。

そして、大阪の「味吉兆」へ修行に行きました。

そこで働く人みんなが、純粋に料理が好きで、楽しんで働いていたそうです。日頃から美しいものを見て料理に活かしていて、盛り付けを考えるときは、美術の番組をみんなで見て取り入れていたそうです。

あしらい(器に盛り付けた料理を引きたてるために添える野菜や花や葉)に使えるもみじや朝顔は、自分たちで育ていました。

一緒に働いている新人も洗い場の係の人も、すべての人たちが日本一を目指していて、料理だけでなく、洗い物や床掃除をするときもプライドを持って仕事をしていたそうです。

料理をお客様に届ける時は、調理場の気持ちや勢いを一緒に運んでほしいとお願いしたそうです。

料理を作るときの気持ちが食べる人に伝わって、美味しさにつながるのだと思いました。家庭の料理にも言えることですね。



料理は頑張らなくていい

毎日献立を考えて、料理するのって大変ですよね・・・

「楽しく料理をするなんて、余程の料理好きじゃないと無理!」と言いたくなります。

食事は健康をつくるものなので、「毎日手料理するべき」「おかず3品以上が理想の食事」などいろいろな声があって、毎日の料理を負担に感じている人は少なくありません。

疲れているときも「きちんとした食事を作らなければ」と頑張りすぎるとしんどいですよね。

土井善晴さんは、昔ながらの「一汁一菜」を提案されています。

毎日一汁一菜で「メインのおかずとお汁だけ」と決めておくと、料理も少し楽な気がしてきます。

汁物だったら、難しい手間が少なく誰でも作れるので、家族に任せたり料理家電などの道具に頼ったりできます。

それに、家にある材料を好きなように組み合わせて作れますし、和風や洋風、中華などいろいろなバリエーションを楽しめます。

今の時代はフードロス問題が深刻です。

毎日の食事を一汁一菜にすることで、フードロスが減り、地球と家族を大事にすることに繋がります。

毎日一汁一菜でいいんだと思うと、ちょっと負担が軽くなったような気がしませんか?

「食事をすることは外せないことです。料理は人間にしかできないことです。

料理は自立をすることに繋がります。自分で幸せになるための力です。」と、土井さんはおっしゃっていました。

頑張りすぎず、料理を生活の一部として毎日無理なく続けられる方法を考えていきたいですね。

料理の負担に悩んでいる方へおすすめの本

土井善晴さんの著書を紹介します

「一汁一菜でよいという提案」 新潮社

難しい手間をかけなくても、シンプルな一汁一菜でいいと教えてもらえます。

日本料理を深く研究した料理研究家の方にそう言ってもらえると、ほっとします。

毎日の献立や料理の悩みが軽くなり、「自分はこれでいいんだ」と自信が湧いてきます。

「一汁一菜でよいと至るまで」 新潮社

土井善晴先生が自己探索しながら料理の道を目指し、「一汁一菜」のスタイルに至るまでをさらに詳しく語られている自伝的エッセイです。

修業時代に全力で取り組み、料理に対する姿勢を学んできたようすが伝わってきます。

料理に自信がなくても、「失敗しても大丈夫、失敗なんてない」と励まされます。



優しい言葉が心に染みる

土井善晴さんのお話を聞いて、今まで「自分の料理が家族の健康にかかっている」と思い肩に力が入りすぎていたな、と気づかされました。

また、食事のマナーにとらわれすぎて、一番大切な「楽しい食事」を忘れていたことに反省しました。

「料理は頑張らなくていい」 土井善晴さんの優しい言葉が染みました。

最後まで読んでくださりありがとうございます。



土井善晴さんのプロフィール

1957年 大阪府生まれ
料理研究家 土井勝さんの次男
大学生の時にスイスで、卒業後にフランスで、フランス料理の修行をして、帰国後には大阪「味吉兆」で日本料理の修行をする。
1988年から父の後を継いで、テレビ朝日「おかずのクッキング」の
講師を34年間務めた。

土井勝さんのプロフィール
1921年 香川県高松市生まれ
海軍でコックのリーダーをして、そこでプロの料理人との出会いがある。
(海軍は食が贅沢で、軍艦で豚を飼っていた。ごちそうを食べていた。)
終戦後、料理の道へ進み、1953年に妻と「関西割烹学院」を設立。
(当時の人たちは料理ができるのは当たり前で、基本的な料理はできていたので、学院で教える料理はレベルの高いものだった。後にテキストが全国の料理学校で使われるようになった。)
同時期にNHKテレビ「きょうの料理」へ出演。
(プロの料理人は自分のレシピを教えることはなかった。弟子ですら味は盗んで学ぶもので、味見をしようとしても、水を入れられてできなかった。そんな時代に、レシピをオープンにすることは、大きな転換期だった。
日本人の栄養改善や体格を良くするために、西洋の栄養学をもとにした、メインディッシュでエネルギーのなる脂肪やタンパク質を摂って、副菜・ごはん・味噌汁を食べる一汁三菜を推進していた。
肉料理を知らない日本人のために、料理番組で教えることになった。)
逸話として、不開催となった1940年の東京オリンピックの短距離の選手に選ばれていた。

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